今まではフリーランスになろうと思った経緯について語ってきたわけですが、今回はそもそもフリーランスになりたいと思っていたぼく自身の考え方や価値観についてお話できたらと思います。
「普通」が大嫌いだった学生時代
うちの母親はけっこーな変わり者で、小学生時代から年間ズル休みは4回までOKという謎のルールがありました。
ナントカ座流星群見に行くから明日の学校はズル休みをしろとまで言われたことすらあります。
そんな母親に育てれたうちの家族はなかなかの変人集団やと思います(笑)
例に漏れず、ぼくもまあまあの変人です。
ぼくは昔っから「普通」というものが大嫌いで、皆と同じなことが嫌でした。
- 体操服が短パンからハーフパンツに途中で変更になり、皆変えていったけど頑なに短パンを履き続けた中学校時代
- 流行りのJ-POPは聴かない。洋楽や青春パンクロックにハマる高校時代。
だからまあイジメられましたねー。
それでも自分を曲げないところはなかなか頑固やなーと思いますが、辛かった時期でもあります。
そして皆が何となく大学に進路を決めていた頃、明確にソーシャルワーカーになりたくて福祉系専門学校を志望していた自分はすごいなと今でも思います。
目指すキッカケはあったにせよ、これは本当に親に感謝しなければいけないなと思います。
何のために働いているのか? わからなくなった
福祉系専門学校卒業後は授産施設(今でいう就労継続支援B型)に就職しました。
病院とか相談職の道もあったけど、地域の中でやっていきたいという想いが学生時代から強かったんですよね。
当時の授産施設の給料は正直めちゃくちゃ安かったので、同級生でも授産施設に就職したのはぼくくらいのものなんじゃないかと思うくらいです。
給料としては生活保護以下…いわゆるワーキングプアですね。
学生時代のバイトよりも下がり、サービス残業はがっつりある。
そんでもって通っている利用者さんよりも収入が少ない(障害者年金と工賃)なんてことまで発覚。
当時授産施設でクッキーを焼いていたのですが、利用者さんに残業させるわけにもいかず、遅くまでクッキーを焼いていたのを覚えています。
この時代では個別支援計画を作成することも義務化されていませんでしたから
何のために通ってもらっているのか?
何を目標にしているのか?
そのためにどんな支援をしていくのか?
すべてが曖昧でした。
お金がない
身体もキツい
精神的にもすり減る
何のために働いているのかわからない
心身ともにボロボロになっていきました。
振戦(身体、特に手が震える症状)が出現し、まともに仕事も出来なくなりつつありました。
怖くて精神科に行くことも出来ず、さらに自分を苦しめていました。
ここでぼくは学生時代の恩師を頼り、相談にのってもらい、さらには先生のツテで転職までするようになりました。
当時は他にも色んな方に相談にのっていただき、「うちに来ないか?」と言ってくださるところが他にもあり、本当に感謝しています。
そして、勇気を出して相談出来た自分は偉いなと今でも思います。
救護施設の過酷な現実
障害者地域活動支援センターに転職したぼくですが、1年で同法人の救護施設へ移動。
ようやく支援という支援を出来るようになり、社会福祉士の実習生の指導もさせていただき、専門職としての道をやっとあゆみはじめることが出来たような気持ちでした。
しかし、その支援は簡単なものではありませんでした。
救護施設で生活している人たちは一見穏やかな生活をしているようにも見えます。
中には衝動性の強い方もいて、暴れたりする方もいましたが、それはほんの一部でした。
一番問題なのは一見穏やかそうに見えて、ゆっくりと死んでいっている人たちだったのです。
仕事を失い
家を失い
家族を失い
施設に入ってきた人がどうしてイキイキと生きることが出来るでしょうか。
「生活保護で生きていくくらいなら、早く死にたい」
こんなことを言われることも珍しいことではなかったです。
そこでそうなる前に何かしら出来ないのだろうかと考えたたわけです。
そのことについては前回でも少し触れました。

当時はここまで具体的に考えていたわけでもなく、そもそも難しいだろうと何故か最初から諦めていました。
そこで転職を考えます。
再度地域の事業所で
救護施設から転職して今の事業所(就労移行支援・自立訓練の多機能型)にやってきました。
仕事を失って施設に入るまでの間で介入出来ると考えたからです。
それはきっと間違ってはなかったです。
でもそれが本当に自分がしたかったことだったのかというのはなかなか拭えずに過ごしていました。
というのも、どこに行っても一緒だとは思いますが、制度事業なので、それを超えた支援が出来ないということです。
もちろん他機関と連携はしていきますが、それでも難しいことって多々あって、どこかが手弁当(ボランティア)で担う・もしくは様子をみましょうなんて曖昧な感じで進んでいったりする。
その人を支援する制度がないのであれば、作り出せばいいというのがぼくの意見です。
そうでなければ、クライエントにとっても支援者にとっても良い結果にはならないと思います。
でもそういう考えはなかなか福祉業界の中では生まれないです。
今ある制度の中で何とかしようというのが今の流れなんじゃないでしょうか。
でもこれが福祉業界以外であれば、そこにニーズがあるのであれば、それをビジネスとして成立させて、いかにサービスを提供できるか考えるはずです。
この考え方は今後の福祉業界で絶対必要なんじゃないかと思っています。
制度の奴隷
ぼくは支援者が制度に縛られていてはいけないと思っています。
制度はあくまで支援をするためのツールのひとつであり、それ以外にカードをたくさん持っておく方が健全です。
制度というカードしか持っていなければ、当然その一枚で戦っていくことになるわけで上手くいくはずもありません。
とはいえ、今の福祉業界の考え方や組織としての考え方もあるわけで、それに逆らい続けるのもチームにとって良策とも言えず、ぼくは一人になった方がいいなと思い至ったわけです。
ここでは制度事業のことを言っていますが、制度事業が良くないとかダメとかそういうわけではありません。
福祉職の方のはぜひ柔軟な頭を持ってほしいなと思っています。
厳しめな言葉かもしれませんが
ソーシャルワーカーよ制度の奴隷になるな!
過去回




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