今回は今の職場で働いていて気づいた自分のことについてお話できればと思います。
前回に引き続きぼくの価値観というか特性?的なことに触れることかなと。
まちづくりもやってます
このブログ内では具体的な法人名など出していませんが、ぼくの働いている職場では障害福祉サービスだけではなく、まちづくりにもチカラを入れています。
障害や性別、国籍、年齢などにとらわれないごちゃまぜのまちをつくっていくということで様々な活動を行っています。
まちづくりは大事だけど
障害があっても、どんな人であっても生きやすい社会、地域を作っていくことは大事です。
ぼくは子育てをするようになって小学校の集団登校というものがシステム化されていたものではなく、地域の親たちのネットワークによって作り出されているものだと初めて知りました。
うちの娘も同じマンションの同級生の子たちと一緒に集団登校しています。
こういった地域の繋がりによって解決されている問題は多々あるのだろうと思いますし、ある意味それだけ制度として解決出来ていないことはたくさんあるということなんだろうなと思います。
地域の繋がりが希薄とされる昨今において、その繋がりを再構築していこうという試みは素晴らしいことです。
でも、現状繋がっていける人ってそこに積極的な人たちに見えるんですよね。
消極的な人は地域の中で置いてけぼりにされる……??
人との繋がり方は人それぞれ
人との繋がり方は、人それぞれなのではないだろうか。
そして、そのバリエーションはたくさんあった方がいいし、その人が関わってきてくれるのを待つだけではなく、こちらから関わりにいくことも時には必要なのではないだろうか。
人との繋がりは
- 家族(自分の妻・子供、実家や親戚など)
- 友人(同級生、その他の友人)
- 仕事の繋がり(同僚、職場以外の仕事繋がりの人)
- 子供の繋がり(ママ友、パパ友)
- 地域との繋がり(隣人、地域イベント等での繋がり)
- 趣味の繋がり(自分の趣味を介しての繋がり)
- ネットの繋がり(オンラインサロン、ゲーム等)
など様々ある。
地域というコミュニティでの関係性は希薄でも、それぞれのコミュニティでその人が大切にしている繋がりがあるという人は多いと思う。
地域の繋がりが希薄化しているというよりはネットが発達したことによって身近にある家族や地域だけではないコミュニティが形成しやすくなり、選択肢が増えたということなのだと思う。
それが悪いことなのかと聞かれると、そうでもないのではないかと個人的には思う。
ぼくもネットから生まれた繋がりはたくさんあるし、オンラインのコミュニティにも所属している。
直接会ったことはなくても大切に想っている人たちはたくさんいる。
それは現代においては変なことじゃないだろう。
またぼくはソーシャルワーカーとして、関わってきてくれるのを「待つ」だけでは良くないと思っている。
よりその人の状況が困難に陥れば陥るほど、自ら誰かと繋がっていこう、相談しにいこうという気力は削がれる。
だからこそソーシャルワーカーから関わっていく必要があるんだ。
災害時の地域の繋がり
とはいえ、地域の繋がりを否定するわけではないです。
特に災害時は地域の繋がりは大切です。
ぼく自身、小学生の時に阪神淡路大震災を経験しています。
ぼくの父親は震災時地域の人のためにものすごく動いていたし、またぼくも家族も地域の人に助けられたと思っています。
災害に備えて地域のネットワークをしっかり作っておくことは大切です。
ただし、それを個人の努力としてしまうのではなく、誰もが困った時に受け入れられる地域の受け皿をキチンと整備しておくことなのだと思います。
そういった意味で地域ネットワークを整備しておくことは、とても重要です。
ただ、ぼくはソーシャルワーカーとしてやるべきことはそこなのかなという疑念が拭えなかった。
困っている人がいることを知っている。その人たちを後目に受け皿としての地域のまちづくりをと言っている場合じゃないだろうと考えてしまう。
そこに困っている人がいるとわかっているのであれば、そこに支援を届ける手段を考えよう、直接会いに行こう。
地域との繋がりを持っていくのはきっとその後だ。
過去回





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