映画「道草」を見てきました。
ある意味私達福祉職にとっては日常ではあるけども、日に日に温かさを失い、失われてしまった日常であるとも言えます。
福祉に携わっていない方からすると非日常だと思います。
上映スケジュール
詳しくはホームページを参照していただけたらと思います。
私は神戸アートビレッジセンターの上映を見てきました。
新開地駅を降りると

神戸では4月13日~26日まで上映されています。
もうすでに終わってしまっていますが13日にはえんぴつの家の方との対談があったようです。
20日にもメインストリーム協会の方、インクルネット西宮の方と対談予定です。
内容
自閉症や重度知的障害のある方々と、その家族、介助者・支援者たちの日常を切り取った作品です。
家族と離れ自立生活を送っている人、施設を出てこれから自立生活を目指していく人。。
それぞれの人間模様が描かれています。
失われてしまった温かさ
映画を見ていると障害のある人たちと介助者たちの関係性は利用者と介助者というよりは友達や家族のようで
見ていて心が温かくなりました。
こんなにも心に寄り添った、温かさを伴った支援、介助を我々は出来ているのだろうか・・・。
名字 + さん付けでないとダメ?
作中でほとんどの介助者たちは利用者のことを下の名前で読んでいました。
それも呼び捨てにすることもしょっちゅうです。
常識からすると利用者にも尊厳があるのだからちゃんと「名字 + さん付け」で呼びなさいとなるでしょう。
でもね、これはそういうのから飛び越えたところにあるんじゃないかと思うのです。
結局のところ「名字 + さん付け」で呼びなさいってのは利用者と介助者・支援者の関係でそれ以下でもそれ以上でもないってことなんだと思う。
思えば私もヘルパーをしていた時は利用者のことを下の名前で呼んでいました。
その時の利用者の一部は今でも友人だと思っています。
いつから温かさは失われたのか
良くも悪くも制度が充実してきたということなのだろうと私は思います。
私がヘルパーをしていた時は最初はボランティアで入っていたし、支援費制度もまだまだ走り出したばかりという時代でした。
「こんな夜更けにバナナかよ」のように学校で介助者を募ったりもしました。
一緒に飲みに行ったり、ギャンブルしたり、バカしたり、友人のように良く遊びました。
人権が強く叫ばれる時代ではあるけど、温かさを失った支援は何だか虚しいです。
遊ぶように仕事をして、仕事をするようで遊んでいたい
映画を見ているとヘルパーさんけっこー一緒になって遊んじゃってるんですよね。
しかも、自分の家に招いて利用者の誕生日パーティーまで開催しちゃう。
介助者である彼らにとって仕事ではあるけど、日常であり、遊びなんだと思った。
久しく私自身も忘れていたことだけど、自分の目指すところってここなんじゃないかと思うのです。
私に何ができるだろうか
映画の中では当事者や家族、介助者・支援者の苦悩も垣間見れるシーンがいくつもありました。
皆行きていくのに悩み、苦しみ、それでも楽しく行きていきたいと願っているんだろうと思う。
私自身映画を見て自分に何が出来るだろうか、自分が目指すべき場所はどこだろうかと再び考える機会を頂けた。
ありがとうございます。
私自身またヘルパーをやりたいなという気持ちもあるにはある。
でも自分がすべきことはそこじゃないんじゃないかという想いもある。
どういう形がいいのか、どうしていけばいいのかまだ具体的にはわからないが、今の自分が成せることをしていきたいと思った。
最後に
宍戸監督にはSOCIALSQUARE西宮にも来て頂き、話をしてくださいました。
この場を借りてお礼申し上げます。
ありがとうございました。
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