プロフィール

このページでは

32歳 2児のパパ

救護施設勤務

社会福祉士、精神保健福祉士

はあちゅうサロン、福祉コミニティ「toitoitoi」所属

自らもコミニティを作ろうと画策中

 

 

というぼくのプロフィール、生育歴を書いています。

ご興味のある方はお付き合いください。

幼少期

兵庫県で出生し、育ちました。

小さい頃は姉によく女の子のかっこうをさせられたり、何故か3歳の息子に親はビールを持たせたりしていました。

その後次々と子どもは生まれ…6人兄弟となりました。祖母も一緒に暮らしていたため、9人家族でした。

なかなかの大家族でしょ?w

両親は大変だっただろうなーと子どもながらにも感じていて、両親のケンカはしょっちゅうでした。

特に父親はかなりの酒乱でお酒を飲んでは暴れ、酔い潰れて外で寝てしまったり、家に帰ってきてもトイレで寝てしまって、トイレに入れなくて困るということが日常茶飯事でした。

 

中学生時代

親の影響で幼少期からバスケットをしていたのでバスケット部に所属。

ぼくの通っていた学校はそれなりに有名な不良校。

いじめられていた同級生を庇ったことが原因でぼくも、いじめっ子の標的になってしまいます。

けっこー殴られたりしてたけど、なんとか真面目に通って卒業。

あの頃の自分は偉かったなー。でも逃げてもよかったんやでって言ってあげたいな。

 

高校生時代

高校でもバスケット部に所属しましたが、練習中、着地時に膝を負傷。

半月板損傷でした。

その後マネージャーのようなこともしていましたが、続けることが出来ず退部。

部活をやめてからはバイトをするようになり、チラシのポスティングや印刷会社でひたすら機械に書類を入れていく単純作業、スシローなどで働いていました。

特にスシローは3年くらいバイトしていて正社員の話もありました。

バイトするようになるとちょっとヤンチャになり、色んなことをやらかしました(笑)

やらかし過ぎて(詳しくは書けません💦)高校停学…自宅謹慎を命じられるはめに…。

それでもなんとか卒業することは出来たのですが、高校生の時にはさらに2つの大きな事件がありました。

1つ目は父親の浮気。

元々酒乱で両親のケンカはしょっちゅうでしたが、浮気を原因に両親の仲は急速に冷え込みました。

母も離婚は考えていたようで姉やぼくにはよく相談していましたが、子どもが多かったのでなかなか離婚は難しかったようです。

2つ目は同級生の自殺。

特別仲が良かったわけではないのですが、摂食障害があり夏休みに亡くなったとのことでした。

本当に自殺だったかは風のウワサなので真実はわかりませんが…「あー人ってこんなに簡単に死ぬんだ」とはじめて死を身近に感じた出来事でした。

そして、精神病のことを調べるようになり、精神保健福祉士という資格の存在を知りました。

それからは精神保健福祉士を取得するために福祉の専門学校に行こうと決め、学費を稼ぐためにひたすらバイトでした。

この頃は家は貧しくて親に迷惑をかけたくなくて、自分のバイト代と奨学金だけで専門学校に行くと決めていました。

大学は眼中にありませんでした。

 

専門学校時代

この頃が正直一番楽しかった。

専門学校時代の友人は今でも付き合いがあり、勝手に親友だと思っています(笑)

バスケットサークルに所属し、きつい練習とかはなく、遊び程度だったので膝が悪くても楽しく参加していました。

バイトもスシローをやめて、福祉系のバイトやボランティアをはじめます。

特別養護老人ホームの介護や身体障害者のホームヘルパー。知的障害児の放課後支援のボランティアなんかをやっていました。

ボランティアでは夏休みにキャンプなんかもして、本当に楽しかった。

しかし、この頃から父親が立て続けに病に倒れるようになり、お酒やタバコのせいで肝硬変や肺気腫になっていました。

それでもやめることが出来なかったのですから、今から思えばアルコール依存症だったのだろうと思います。

でも両親の仲は良くなり、よく二人で旅行に行くようになっていました。

専門学校では社会福祉士と精神保健福祉士の両方の単位を履修し、卒業後にどちらも見事一発合格!

あまり勉強は出来る方ではないんですが、本当に福祉のこと好きなんだなーと今でも思います。「好きこそものの上手なれ」ですね。

 

作業所時代

卒業後は精神障害者の作業所に就職します。昔で言うところの授産施設です。(現在は就労継続支援B型に移行)

ここでも試練の連続…。

この頃の給料は月10万ほどで、貯金を切り崩しながらの生活でした。ひどい時は近所のパン屋さんにパンの耳をタダでもらって食べていました。

あとは職場の人におかずをもらったりとかして何とか食いつないでいました。

月10万でも夜遅くまでサービス残業は当たり前でした。

さらに同期が元々精神病院に勤めていた作業療法士さんで実力の差は歴然…。

比べられて「だいさんは使えないよね…」と陰口を叩かれる日々。(聞こえてるから陰口になってないけどね)

この頃は心身ともにかなり弱って、手足や顔が震え(振戦という症状)たり、うまく喋ることが出来なくなってきていました。

精神科にかかった方が良いだろうと自覚はしていました。

でも精神科に行く勇気がぼくにはなかったんです。

精神障害のある方の支援をしていながら、その方たちにちゃんと通院しなさい。薬ちゃんと飲みなさいとか指導しておきながら、自分は通院する勇気がなかったのです。

このギャップがさらに自分を追い詰めていました。

「ここままではいけない…!」

と思いたち転職を決意。

2年働いたのち退職しました。

 

障害者地域活動支援センター時代

転職し、現在勤めている法人の障害者地域活動支援センターに就職。

非常勤職員でしたが、給料はほとんど変わらず、残業はほぼなしで心身の状態は少しづつ回復。

彼女(今の妻)とも結婚の話が進みだし、人生が良い方向に進みだした感がありました。

 

救護施設時代

障害者地域活動支援センターで1年働いたのちに救護施設へ異動。

正社員としての採用となりました。

給料は最初手取り17万くらいだったかな?ボーナスも支給されるようになり、生活は劇的に改善しました。

異動して1年ほどで、結婚。

この頃には酸素ボンベが手放せなくなっていた父でしたが、結婚式には出席してくれました。

結婚式の約3年後の2012年に父は他界。61歳でした。

最終的に父の処置を決定したのはぼくと母でした。あの時の判断は正しかったのか…今でも考えると心がギュッとなります。。

2014年に長女が誕生。

これがまた可愛いんですよ。父に会わせることが出来なかったのは残念でしたが、幸せでした。

2016年、ぼくも30歳に…。この頃を境に今まで結婚や父の他界、出産、子育てとプライベートでも忙しかったけど、ソーシャルワーカーとしてぼくはこのままで良いのか?今の職場でずっと働き続けるの??とモヤモヤ…疑問に感じるようになりました。

 

行動を開始!

学生の時から何となく思っていた、独立したいという想いを再燃!

福祉の専門家というだけでは生き残れないと感じ宅地建物取引士の勉強を開始。

2017年に試験を受けるも1点足りずで落ちる。。

今年再挑戦!

2018年次女誕生。

そして2018年5月にはあちゅうサロンに参加。

はあちゅうサロンで出会った方が福祉のオンラインサロンを作るということで6月にそちらにも参加。

この頃からブログやSNSをフル活用!

発信する大切さを実感中。

自分でもコミニティを作りたいと想い、今は運営を一緒にしてくれるメンバーを募集中。

そして、転職活動中です♪ ←今ここ

 

前ブログはこちら↓

 

 

ソーシャルワーカーコミニティ「Posto Felice」

ソーシャルワーカーコミュニティ

「Posto Felice」を運営しています。

詳しくはこちらをご覧ください。

Posto Felice