メガネのソーシャルワーカー事務所でも、ぼくの経歴は書きましたが、より親しみを持ってもらうため、ここではより詳細な中島を見ていきます。
そう、これは中島の取扱説明書です!
年齢は? 家族は?
1985年11月21日生まれです!
この記事を書いている2022年12月25日時点では、37歳になります。
家族は妻と娘が3人の5人家族です。
男が一人なので、たまに肩身が狭いのです(笑)
趣味・特技は?
趣味は
- 機械いじり
- 登山
- カメラ
- 漫画・アニメ
- 読書
パソコンやスマホなどのガジェットがとにかく大好きです。
好きすぎて、自分でパソコンを作りました(笑)
登山は子供が生まれてきてからは、お休みしています…。
でも、子供たちが大きくなってきたら一緒に登山したい!
カメラはOLYMPUSのPEN E-P5を愛機として使っています。
このPEN E-Pシリーズが大好きで、何というかフォルムが可愛い。
クラシックさも残りつつ、愛らしい姿にほれぼれしてしまいますー。
漫画やアニメは何でも観ますが、特に「3×3アイズ」が好きでした。
本も何でも読みますが、最近活字がちょっと辛くなってきたこともあって、オーディオブックを使って耳で本を読むことが多いです♪
オーディオブック便利ですよ~。
特技は
- お手玉
- バスケ
- 器用貧乏
学生時代にオーストラリアの老人ホームに訪問させてもらったことがあり、そこの利用者さんに日本っぽいものを披露しようということで、当時めっちゃお手玉を練習していました(笑)
なので、今でも一応お手玉が出来ます!
親がバスケットマンだったので、幼少期からバスケをずっとしてきました。
特別上手だったり、優秀な成績を残したわけでもないですが、今でもたまにバスケをしています。
そして、器用貧乏ですが……。
基本的に「得意です!」と言い切れるものは、あまりないんですが、大抵なんでもそれなりに出来ます。
運動神経も悪くはないですし、こうやって一人で仕事をしていくためのスキルもそれなりにあるので、誰かに頼らなくても大抵自分で出来てしまう。
でもこれって良いようで良くないことかもしれないですね。
ぼくは上手く人に頼れる人でありたいなって思っているので。
福祉を志したきっかけは?
少しだけ重たい話になってしまうので、飛ばしてもらっても大丈夫です!
それでも、読みたいという人だけ読んでくださいね。
福祉を志したのは、高校生の時でした。
ぼくは、摂食障害の女の子と出会ったのです。
その女の子は夏休みの間に亡くなってしまいました。
真意はわかりませんが、自殺だったという噂も聞きました。
ぼくは「命ってこんな簡単になくなってしまうものなんだ」とショックを受けたことを覚えています。
今にして思えば、初めて「死」について向き合ったのだと思います。
何故死に至ったのかが気になり、精神病について調べていくうちに「精神保健福祉士」の存在を知ります。
それからは、福祉系の学校について調べ、最終的に福祉系専門学校に入学することになり、今に至ります。
何で独立したの? それでやっていけるの?
ぼくの業態はいわゆる「独立型社会福祉士」と呼ばれるものに近いかと思います。
実際に社会福祉士としての仕事もしています。
しかし、それだけでなく精神保健福祉士や公認心理師を活かしたメンタルに関する仕事もしています。
これでやっていけるのかは、正直まだわかりません……。
色々検証しながら自分なりのスタイルが見つけられるといいなと思っています。
独立した理由は
- 独立にあこがれていた
- 制度では解決出来ない問題があることを知った
- 組織で働くことに向いていなかったかも
- 子育てしながら働くのは大変だった
長くなりそうなので、ひとつずつ説明していきますね!
独立にあこがれていた
専門学校の講師の先生には、独立型社会福祉士の方がいました。
独立という選択肢があることを、その時はじめて知りましたし、「独立」という響きにあこがれがあったことは確かです。
しかし、それも就職して、働いていくうちに徐々に薄れていきました。
しばらく現場で働いていくうちに、先の見えない不安に襲われます。
「自分のキャリアアップってどうしていけばいいんだろう?」
周りを見渡すと自分と同世代でも独立して活躍している人たちの存在。
社会福祉士会の中でも独立型社会福祉士委員会が存在し、たくさんの独立型社会福祉士が在籍していることを知りました。
働いていくうちに、独立なんてどこか夢物語に思っていましたが、現実に可能なのだと思い始めたのです。
制度では解決出来ない問題があることを知った
福祉の現場で働いている人間であれば、少なからず感じているかもしれませんが、制度で解決出来ることは、ほんの一部です。
相談しても解決してもらえずたらい回しにされる
取り返しがつかないところまでいってようやく支援される
そんなことがまかり通っています。
救護施設で勤務していた時には、
- リストラにあう
- 妻に見放され、離婚される
- 酒に溺れる
- 体調を崩し、病気や障害を患う
- 家賃が払えず、家を追い出される
- ホームレスとなる
- 行き倒れているところを保護される
- 救護施設入所、生活保護受給
というような方は少なくありません。
もっと早い段階で我々ソーシャルワーカーと言われる存在が介入出来ていたら、きっとこの人の人生は違っただろうと思わずにはいられませんでした。
救護施設は最後の砦として、とても重要な拠点のひとつです。
しかし、もっと早い段階での介入が必要だと考えたぼくは、転職をすることになります。
そして、NPO法人ソーシャルデザインワークスに入職します。
NPO法人ソーシャルデザインワークスが運営するSOCIALSQUAREでは、就労移行支援・自立訓練(生活訓練)の事業をしていて、仕事を辞めることになった、もしくは仕事に就けない人たちのサポートが出来る。
つまりは、もっと早い段階での介入が出来ると思いました。
しかし、それでも解決できない問題は山ほどありました。
そう、制度事業だけでは解決出来ないことは山ほどあるのです。
組織で働くことに向いていなかったかも
ぼくは管理されるのも管理するのも嫌だし、苦手です…。
SOCIALSQUAREでは、サービス管理責任者・管理者を歴任し、責任ある立場を経験させていただきました。
そこでわかったことは、管理されたい、もしくは管理されることで能力を発揮できる人間もいるんだということ。
ぼくは管理する立場の人間としても、かなり放任主義なので、人によってはやりづらい上司だったかもしれません。
まぁなんか正直組織で働くよりも一人の方が気楽だなって思ったんですよね(^^;
子育てしながら働くのは大変だった
辞めざるを得なかった直接的な原因がこれです。
ぼくには3人の娘がいますが、小学生の長女は学童に入れず、三女も保育所に落ちてしまったので私立の保育所に入り、次女とは別々の保育所に…。
お迎えも2箇所行くとなるとかなり大変ですし、長女は15時には帰ってきてしまうので、15時以降は在宅勤務で対応させてもらっていました。
「でも、これ夏休み無理じゃね?」
って思いましたね(笑)
そんでもって3人共に授業(保育)参観や三者面談、音楽祭や体育祭、PTAの活動云々…。
さらには、体調を崩して順番に感染っていったりしたら一週間以上夫婦のどちらかが仕事に行けないなんてこともよくあります。
だから有給がまったく足りない…(^^;
そんなこんなで夫婦どっちか辞めないといけないかなって話になり、ぼくが辞めて独立しようと決意するに至ります。
まとめ
ざっくりまとめると娘が3人いるけど割と自由人なソーシャルワーカーです!笑
こんなぼくですが、どうぞよろしくお願いします。
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